2017年08月03日(木)
父
私が医師になったのは、父の影響が大きい。
頭がよくて、尊敬できる、そしてちょっと怖いそんなイメージだった。
学生のころは、いつも父に勉強を教えてもらっていた。
医学部に合格した時は、父の勤務している病院まで報告しにいった。
そんな父も、1年前医師を引退した。
両親は元気と過信していて、近いにもかかわらず私はあまり実家にもいかなかった。
母は外交的で、たくさんの趣味がある。
父は仕事ひとすじだった。いつも母は外出して父が一人で家にいることが多いようだった。
それでも、私は知らん顔していた。
ある日、実家にいったら、父が一人。
母はどこにいったか聞くと、誘拐されて人質にとられていると。
そして、悪い人がいっぱい家にくるので、警察を呼んだがなかなかこないとううつろな目をしていた。あんな父を見たのははじめてでショックだった。
ほっておけない。そう思った。
母がいないときだけ、変なのか、母は気づいていないよう。
しかし、それを境に父が壊れていった。
現実に戻っているときも多い。
しかし、幻覚も自分が老いたからそう見えていると理解もしている。
もう86才、男性の平均寿命もとうに超えた。
仕方ないとあきらめないといけないのか、私も色々勉強をした。
以前、すこしおかしくなりかけたとき、漢方を処方したがそれもあまり飲んでなかったらしい。ちゃんと抑肝散を1日3回、そしてアリセプトも処方した。
母は、「ひろみの愛情薬やから、私が絶対飲ませる」と。
外交的な母も父をほっておけなくて、ずっと家にいるようになった。
「じいちゃんのおかげて、最高の人生やった。私が最後まで面倒をみる」といったのを聞いて涙がでた。
両親の顔を見ないと心配でたまらない。それから毎日実家に立ち寄るようになった。
父の笑顔、母の元気なおしゃべりを聞いていると安心する。
当然のことながら母もかなりストレスがたまっているようでたまには、ぐちをいっぱい聞かされる。
「もう、世話にはなりたくないから来なくていい。ほっといてくれていい。」と言われると悲しくなる。今の私があるのは、両親のおかげ。この家に生まれてきたから私も幸せな人生を送ることができている。
本当にいまさらだが、両親にとても感謝している。それを言いたいのだけど、言おうとすると泣けてくる。
幸い、薬が効いたのか、父は落ちついて普通にもどった。
1人で、大好きなウオーキングもしている。
母は、治ったみたいととても喜んでいた。
しかし、認知症は進行を遅らせることはできてももとにはもどらない。
今普通になったのは一時的かもしれない。
実家に行って、たわいもない話をして。
そして、必ず帰りは父が門のところまで送ってくれる。
「ありがとう、ご苦労さん。」
そんな父が、今とても愛おしい。
Posted by さかざきひろみ at 19時19分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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